かつてのプリンシパル・ダンサー ソプラノシンガーとして

かつてのプリンシパル・ダンサー ソプラノシンガーとして

神韻のアーティスト、レイチェル・ユ・ミン・バスティック(宇寧)さん(Courtesy of Shen Yun Performing Arts)

2022/06/16

レイチェル・ユ・ミン・バスティック(宇寧)さんのダンサーとしてのキャリアは、NTD中国古典舞踏国際大会(2010年)で優勝したことから始まった。やがて神韻芸術団のプリンシパル・ダンサーとなったが、その3年後、ソプラノのシンガーとしても同時に公演するようになった。

「ダンサーとしての舞台が終わると、ソロのシンガーとしてのドレスに着替えます。そして歌い終わると、すぐにダンサーの衣装に着替えて舞台に上がるのです。シンガーとダンサーでは呼吸法が違うので干渉しあうと思われがちですが、そんなことはありません。あまり考えてもいませんでしたが」

やがてはシンガーに専念するようになるのだが、二役での公演は各シーズンで約100回、それが4年間続いた。

神韻は、5千年前の古代中国の芸術、文化を復興させているが、伝統的な歌唱法であるベルカントも復興させた。ベルカントとは、直訳すると「美しい歌声」「美しい歌」となる。彼女にシンガーとしての才能があったのは間違いないが、そのキャリア転換は簡単なものではなかった。彼女は神韻の芸術監督に師事し、ベルカントのトレーニングを一から受けることとなった。彼女は語る。

「本物のベルカントは、どちらかというと “外向き “になる傾向があります。つまり、言葉をはっきりと発音することに重点を置いているのです」

ボイスポジションが重視され、外向きであればあるほどよい。このようなテクニックは、観客に聞こえる音量を最大なものとする。

対照的に、現代のベルカントスタイルの指導法では、口の奥の方に声を集中させ、より内側にある位置から音量と深みを出す傾向がある。この手法では、シンガー自身には非常に充実した声が出るものの、観客には大きな音量として届きにくい。

一般的にシンガーは声帯の状態を重視するが、彼女の場合はそうではなかった。実際、ベルカントを習い始めた頃に声が出なくなったとき、声帯を休めるどころか、「正しいポジション」を見つける絶好の機会としたという。

「間違ったポジションをすべて使い果たしたので、自分の声に合ったポジションを見つける良い機会だったのです」

(大紀元エポックタイムズより転載)