中共統治下で分断されるチベット

チベットは、北京冬季五輪開始以来、抗議活動は比較的静かなままでした。しかし、その静けさは、2008年夏、北京が前回オリンピックを主催した時とは全く違う様相を呈しています。

10年以上の時を経て、中国共産党の強拳の下、チベットの感情はどのように変化したのでしょうか。

14年前の北京夏季オリンピックを前に、チベットでは反乱が起きていました。チベット人と治安部隊との壮絶な衝突は世界のメディアの見出しを飾り、数週間にわたり、僧侶と遊牧民は弾丸や警棒と戦いました。

しかし今、オリンピックが再び北京で開かれても、チベットは沈黙を守ったままです。その理由は、色々な意味で、チベットを飼い慣らすという中共当局の計画が功を奏しているからです。

高齢のチベット人は、数十年にわたる闘争の末、中国の一部になることを甘受しています。

若いチベット人は二極化しています。一部は依然として密かに独立を望んでいますが、一部は誇り高き中国人と自称しています。

海外では、中共がその経済力を利用し、チベットを支持する国や企業を制裁しているため、活動家の訴えは聞き入れてもらえないのが実情です。

中共軍が1950年代にチベットに進駐して以来、中共の厳しい統制によってチベット人の自治権を求める声が高まり、厳しい取り締まりを招きました。

2008年、初めての北京オリンピックが近づくと、チベットでの抗議と弾圧の周期が加速し、抗議者によって12人以上が殺害され、武装警察部隊がデモ隊に発砲しました。

抗議者の中には、抗議する僧侶や尼僧を助けるために自らの身を投じて警官に撃たれたチベット人ツワン・ドンドゥップさんもいました。彼は2012年にチベットを離れ、カナダに移住しました。

亡命中のチベット人 ツワン・ドンドゥップ氏
「私があの抗議運動に参加したのは、私の家族や私の両親、そして私が直面していた闘いを子供たちに遺してはならないと感じていたからだ」

2008年のオリンピックの後、中共当局は、チベット人の心を支配しようと、大々的なキャンペーンを開始しました。チベットの空港、高速道路、学校などの建設に数十億ドルが注ぎ込まれ、電気や医療への助成金がこの地域の広範囲に行き渡っています。しかし雇用や投資と引き換えに、チベット人を狙ったセキュリティと監視が強化されています。

ロンドン大学チベット専門家 ロバート・バーネット氏
「中国は、民族プロファイリングに基づいて社会の取り締まりや管理を行う時代に突入した」

ロンドンのチベット専門家であるロバート・バーネット氏は、電話やインターネットは監視と管理のための道具になっていると語ります。

亡命中のチベットの精神的指導者であるダライ・ラマについて発言する者は、その行動が制限されていることに気づきます。

中には、自宅軟禁または投獄されている者もいます。

昨年、四川省カンゼ・チベット族自治州炉霍県(ろかく-けん)では、当局が高さ30メートルの仏像を取り壊し、住民らにその様子を見るよう強要しました。

チベットの反体制派は今でも外からニュースや画像を密かに持ち込み、共産政権と戦っています。しかし、その活動には大きなリスクが伴います。

チベット人映画制作者 ドゥルドップ・ワンチェン氏
「チベットには、中共の下で暮らしたいと思っているチベット人は一人もいない」

現在、チベットのほとんどの子供たちは寄宿学校に送りこまれ、主に中国語で勉強しています。母国語であるチベット語の授業は大幅に短縮されています。

しかし、中共による抑圧の記憶と、チベット人による文化的アイデンティティを維持するための闘いは、過去のものとなりつつあります。都市部の若いチベット人の多くは、漢民族の風俗習慣を受け入れています。

何万人ものチベット人が住む四川省成都市のチベット人街では、警察のライトが赤と青に点滅する中、矛と警棒で武装した中国共産党の警官が見張りをしています。道路には検問所と監視カメラが並んでいます。

しかし、住民はほとんど気にしていないようです。

多くの若いチベット人は中共当局の支配に盾突くことなく、新しい異文化のアイデンティティを築いています。

成都のチベット舞踊教師 クンチョック・ドルマ氏
「私は真のチベット人であり、チベット人であることを誇りに思っているし、その民族文化が好きだ。しかし同時に私は真の中国人でもある。これらのことに矛盾はない」

このチベット舞踊教師は、成都で暮らしています。彼女は完璧な北京語を話し、自らを敬虔な仏教徒だといいます。彼女は共産党政権の支配に逆らうことなく、中共政府の監視下で生きる術を見つけた多くの若者の一人です。

〈字幕版〉

 
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