自由な世界の情報に接し 人生が変わった

今回は中国の反体制派に話を伺います。自由な世界の情報を目にし、 彼は変わったといいます。自由を選択した代償も語りました。

易劉飛さんは、中共ウイルスが最初に発生した湖北省武漢市出身です。ウイルスが発生した後、当局は湖北省を封鎖し、道路、鉄道、航空など外部への移動手段が全て断たれました。

広東省で製造業と貿易業を営んでいた易さんは、当時旧正月の帰省中でした。ロックダウン実施後、湖北省と湖南省の境の町へ行ったところ、町は木の板や鉄の板などで封鎖されていて、湖北省を脱出する方法はないとわかりました。携帯電話でその様子を撮影し、WeChat(ウィーチャット)のグループに投稿しました。

湖北省武漢市出身 易劉飛さん
「私は動画を撮り、SNSのグループチャットで共有した」

動画をシェアした翌日、易さんは警官から電話を受けました。

湖北省武漢市出身 易劉飛さん
「警官は、私がネットで不適切な話を広めており、責任を取るべきで、懲役刑が科されると言った」

易さんは、恐ろしく感じたといいます。

湖北省武漢市出身 易劉飛さ
「警官に何度も電話で脅された。地方政府も私を脅した。私がTwitterで中国共産党や政府を攻撃していると言い、Twitterアカウントの削除を要求した」

中国ではTwitterやFacebookなど、欧米のSNSは遮断されています。当局は、ファイアウォールで14億の中国人がネットで何を見るか管理しています。しかし、ネット封鎖を突破するソフトウェアで検閲を回避している人も多く、易さんもその一人でした。

偶然の機会にソフトウェアを入手した易さんは2011年、初めてファイアウォールを越え、中国で見られない情報を知りました。読んでいて本当にショックだったといいます。

湖北省武漢市出身 易劉飛さん
「例えば、天安門事件についての真実、毛沢東時代の飢饉、三反五反、各種残酷な弾圧など、これらことの真相を知った時はショックを受けた。中国人はあまりにも苦しんだと知った。以前は党のプロパガンダに洗脳され、『党は偉大だ』『毛沢東元主席は偉大だ』と思っていたからだ」

1989年、世界を震撼させた天安門広場での大虐殺。中共当局は、民主主義を求める学生に軍を送り、銃口を向けました。しかし、中国ではこの事件を知らない人が多く、知っていても「学生は過激派の集団だった」と言いがちです。

政権側の言い分を信じる人が多く、彼が知った事実を、友人はなかなか受け入れようとしません。

湖北省武漢市出身 易劉飛さん
「友人達は私が中共を批判すると、私に何か問題があるのではと思う。私は彼らと議論し、考え方の違いで多くの友人を失った」

このことで彼は驚きました。

湖北省武漢市出身 易劉飛さん
「まさか私が並行世界の住人とは思わなかった。1つの集団は、私のように事実に目覚めた人たちで、もう一つの集団はそれを知らず、別の世界にいるようだ。政権の隠蔽体質を知った私にとって、苦痛でしかないが、状況を変えることはできない」

その間も警察は、彼に電話をかけ続けました。

湖北省武漢市出身 易劉飛さん
「本当に怖くて 中国でのビジネスを諦め、家族を残し米国に来た」

易さんは中国の事業を放棄し、家族を残して今年6月にニューヨークに到着しました。彼が渡米後、民主活動に参加したと知った地方政府は、彼の故郷に行って両親に圧力をかけました。両親は非常怖がり、息子と絶縁したいと言ってきました。

湖北省武漢市出身 易劉飛さん
「最初はとても悲しかったが、よく考えると両親の気持ちがわかる。2つの世代には大きな隔たりがあり、中共を支持する人もいれば、反対する人もいる」

易さんは、自由な情報が得られない中で、人々が選択をするのは難しいが、検閲を突破し自由を体験する中国人が増えることを信じていると述べています。

〈字幕版〉

 
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