中共の戦狼外交官と文革時の紅衛兵

中共政府の戦狼外交は、攻撃性を強める外交官や報道官の姿勢に表れていますが、その背景を少し探ってみましょう。多くの人々は、現在の中共政権の戦狼外交と、1960年代から70年代にかけての文化大革命との間の類似性を指摘しています。

文化大革命では、毛沢東によって動員された「紅衛兵」と呼ばれる極左青年団が表舞台に躍り出ました。当時紅衛兵だった世代は、現在60代の年齢となり、その多くが中国で権力ある要職に就いています。

多くの人は、中共指導者である習近平の闘争精神の呼びかけから、文化大革命時の暴力や混乱を連想します。1966年、文化大革命が始まってすぐ、中共中央文化革命小組(チーム)や政府高官は、毛沢東の著書や語録を海外の中共大使館に大量に送り始めました。

毛沢東の著作は、広く西側資本主義諸国との闘争に焦点を当てています。1967年8月、1万人を超える紅衛兵や造反派が北京の英国代理大使館事務所を襲撃し、放火するという事件がありました。これは文化大革命期に起きた外交上最も重大な事件でした。

この襲撃を生き延びた英国のドナルト・ホブソン(Donald Hobson)代理大使は、後に妻に宛てた手紙で次のように書いています。

「建物の外に出てみると、前庭には5000人ほどの群衆がいた。私の周囲にいた誰もが、それぞれ手にしていた物で私に殴りかかってきた。女たちは気が狂ったように私に襲いかかり、棒で私を殴り倒そうとした。彼らは私の髪をつかんで引っ張り、ネクタイで首を絞めてきた。私は頭から大量に血を流し、失神寸前だった」

中共の機関紙「人民日報」は当時、この事件を「大英帝国の中共に対する犯罪を糾弾する集会」と表現しました。北京の仏大使館に勤務していた仏外交官はラジオ・フランス・アンテルナショナルに自身の体験を語りました。

彼が文化大革命期に中国国内を旅行していた時、13歳から15歳の紅衛兵の一団が、彼と彼の妻に対して「毛主席万歳」と叫ぶように迫ったといいます。

「自分は外交官だからそれはできない」と説明すると、紅衛兵たちは悪意に満ちた目で彼を睨みつけたといいます。

今日の中共外交官たちは、共産党の闘争精神に満ち溢れていますが、1960年代の紅衛兵が成長して今日の外交官になっているのではないかと、多くの人は考えています。

NTD Japan

 
 

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