元武漢市民 中共ウイルス感染後味覚・嗅覚障害に

米ロサンゼルス在住の劉佳鑫(りゅう・かしん)さんは、昨年9月に中国・武漢から逃れ、渡米しました。最近、劉さんは新唐人の取材に応じ、中共ウイルス流行のピーク時に武漢で発生した悲惨な実態について語りました。

昨年9月に米国に渡った元武漢市民の劉佳鑫さんは、最近新唐人の取材を受けました。劉さんは、当局が中共ウイルスの発生地と主張している華南海鮮市場から徒歩10分圏内の場所に住んでいたといいます。劉さんは当初、官製メディアの宣伝を信じて、人から人への感染はしないと信じていましたが、結果的に中共ウイルスに感染してしまったと述べました。

元武漢市民の劉佳鑫さん
「このウイルスは人から人へ感染しないと中共の官制メディアが大々的に報道していた。それで私も警戒心を緩めてしまった。私は人が密集している場所に何回も足を運んだことで、喀血や発熱などの症状が現れ、感染を疑った」

劉さんは病院と居住区の管理事務所の指示が矛盾していたため、結果的に治療を受けられず、命に別状はなかったものの、深刻な嗅覚・味覚障害となってしまったと述べました。

元武漢市民の劉佳鑫さん
「病院では、居住区管理事務所が交付する医療許可書の提出を要求された。管理事務所に行くと、病院の感染確定の診断書が必要だと言われた。やむを得ず、自宅で治療薬を服用してなんとか病状が快復したが、私の味覚と嗅覚は永遠に失われてしまった」

武漢におけるロックダウンの期間中、劉さんはインスタントラーメンで凌ぎ、マスクなどの防護用品も購入できませんでした。当時の武漢市民は、ロックダウンは市民の命を犠牲とする措置であることをよく分かっていましたが、抵抗する力もなく、餓死や飛び降り自殺などの多くの悲劇的な事件が起こったといいます。

元武漢市民の劉佳鑫さん
「いわゆる防疫対策は、本質的には非常識で強制的な封鎖手段だ。一つの都市、一つの居住区の人々を犠牲にして、自分たちの政権を守るのだ。多くの市民が、感染したため病院から診療を拒否され、強制的に家に閉じ込められた。死ぬも生きるも自然に任せるしかない」

中共はいわゆる「維穏(社会的安定の維持)」のために情報を隠蔽・操作し、人の命さえも顧みない。劉さんは身を持った体験から、中共の宣伝を信用してはならないと強調しました。

劉佳鑫さん
「私が武漢にいた当時、公式の発表では死亡者数は3,000人だった。しかし、火葬場で働いている私の友人は、流行のピーク時の死亡者数は毎日5,000人を超えていたと言った。だから、中共が発表したデータは信用できない。私たちの居住区では、4人家族の両親が亡くなり、2人の幼い子供が残された。面倒を見てあげる人がおらず、聞いた話では孤児院に預けられたそうだ」

 
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