【歴史の謎】唐太宗はなぜ則天武后を殺さなかったのか?

《推背図》は中国古代の有名な予言集です。唐の時代、暦学に精通する李淳風と相学に精通する袁天罡が書き上げたものと言われています。予言集は唐の時代から1800年後まで、中国の各時代に起きた大きな出来事を記しています。本の中に60の図があり、それぞれに易経の卦、そして、讖語(予言)と詩がつけられています。

唐の時代は李氏(李世民)の天下でした。《推背図》の二番目の図では、お皿に21個の李子(スモモ)が置かれています。讖語は「一果一仁」(一つの果実は一人の人間を表す)、唐の時代には21人の正統な皇帝がいることを予言しました。各スモモには「ヘタ」がついていますが、一つだけヘタがついていないのがありました。つまり、皇帝の中の一人が女性であることを暗示しており、それが有名な女帝、武則天(則天武后)です。歴史において、武則天は横暴きわまりなく、唐の皇室だった李一族を次々と殺しました。唐太宗は40年前にこの悲劇を予知していました。それにも関わらず、なぜ武則天を殺さなかったのでしょうか?

《旧唐書》の中では、武則天が生まれてまもなく、太宗に招かれた相学者の袁天罡は道中に、武則天の父親から妻の面相を見て欲しいとの依頼を受けました。袁天罡は武則天の母親に、「奥さんの骨相からして、必ず高貴な子どもが生まれます」と告げました。それを聞いた武則天の母親は他の子どもたちの人相をも見てもらいました。袁天罡はそれぞれに対して結果を伝えました。「誰それは何々の官職に着き、三品まで上ります」、そして、男の子の服を着せられていたまだ赤ちゃんの武則天の人相を見た袁天罡は驚きました。「この男の子は極めて高貴な人相です。女の子ならば大変なことです。将来、天下の主になるでしょう」と告げました。

《新唐書》によると 唐太宗は貞観年間に予言集を入手しましたが、中に「唐は三代後に女帝が生まれる」との予言がありました。つまり、武という苗字の女性が皇帝になるというのです。

太宗は著名な預言者李淳風を呼び付けました。李淳風は「この予兆はすでに現われており、この女児は宮中におります。40年後、彼女は女帝になります。そして、唐を興した李氏の子孫を全部滅ぼすでしょう」と答えました。太宗は、「彼女を見つけ出して殺すのはどうか?」と問いかけたら、李淳風は「これは天命です。彼女を殺してはなりません。王者は死なないだけでなく、彼女を殺してしまうと陛下が無差別に殺人をしたと疑われます。それに、40年も経てば彼女は老いていきますし、優しくなります。彼女は帝位について、国の名を変えますが唐の子孫を根絶やしにするまでには至りません。もし彼女を殺したら、彼女は生まれ変わり思いのままに人を殺すでしょう。すると、陛下の子孫は一人残らず殺されるでしょう」と答えました。太宗は李淳風の意見を聞き入れました。

李淳風は易学者でしたが未来の実像を見ることができる超能力も持っていました。《推背図》を第59象にまで書き進めた時、袁天罡は李淳風の背中を押し、「天の神秘は全てを漏らしてはならない、ここまでにしましょう」と言ったそうです。すると、李淳風は最後の天象を「茫々たる天命をこの中で求めても世の盛衰は決まっている。萬萬千千の事、語り尽きず、背を推し休むがよい」と書き留めました。本のタイトルはここに由来したのです。

《推背図》の予言はあまりにも的確すぎて、歴代王朝において禁書となりました。《推背図》の第44図には、中国共産党の滅亡後、聖人が大災難の中で世を救う天象が書かれており、ウサギ年の李氏という大師が現れると予言しています。