【三字経】第十九単元 親孝行な曾子の死に際

〜華やかに飾って死ぬのではなく身分相応に〜

我が周公(しゅうこう)
周礼(しゅらい)を作り
六官(りくかん)を著して
治体(ちたい)を存(そん)す
大小戴(だいしょうたい)
礼記(らいき)を注し
聖言(せいげん)を述べて
礼楽(れいがく)備はる

周公は周礼(しゅうらい)(儒教の経書)という本を執筆した
周王朝の官職を六官に分け
国家を治める体制が記されている
前漢の学者 戴德(たいとく)と戴聖(たいせい)は
礼記(らいき)(礼に関する書物)を編纂した
中には聖賢の言論
並びに礼楽の儀式と制度が
整った状態で述べられている
古人は行動が礼儀に合致することを非常に重視していた
曾子(そうし)は死ぬ間際でさえ自分の身分をわきまえ堅持した
一緒に彼の物語を見て見よう

曾子は名を参(しん) 字を子輿(しよ)という
春秋時代末年の魯(山東省南部)の人だった
16歳の時に孔子に弟子入りした
孔子の後進弟子であった
ある日
曾子は鋤(すき)を担いで父親の後についていき
山の麓の瓜畑にやって来た

息子よ 畑を耕す時は
しっかりと鋤を降り下ろし 均一に耕すのだ
決して慌ててはいけない

はい お父さん 分かりました
あっ!

ほら見ろ お前はそそっかしい
この良好な瓜の苗がお前のせいで死んでしまった

カッとなった父親は 木の棒で
何度も曾子を叩いた
曾子は悪いことをしたと思い
逃げようとせず
全く動かずに地面に這いつくばり
父親の殴打を受けるがままにした
家に帰り
父親は息子が怪我をしたのではないかと心配になり
こっそりと書斎まで来て中を覗いてみた
曾子は父が来たと分かり
安心させようと
体の激痛を我慢し
すぐさま琴を奏で歌を歌い始めた

やがて このことが孔子の耳に入った
曾子が来たら ここに入れるではない

先生 曾子はこんなにも親孝行なのに
なぜむしろ怒っておられるのですか

こんなことを聞いたことはないか
昔 瞽瞍(こそう)という方がいた
息子は舜といい
舜は親の面倒を見ていた時とても一生懸命だった
瞽が舜を必要とする際はいつも‥‥

孔子は本当はこう考えていた
子供が軽く叩かれる時はそれを受け
強く叩かれる時はまず逃げるべきだ と
こうすることで子供は
父親の慈悲なき行いを阻止できる
しばらくして曾子は孔子の教えを理解した

そうすることでも父に悪いことをさせてしまうのか
よし これからは心がけて親孝行をしよう

曾子は晩年 重病に伏せていた
弟子の楽正子春(がくせいししゅん)はお見舞いに来た
息子の曾元と曾申は父の枕元に座り
重病の父を思いやり
気持ちよく横になれるようにと
心地よく華やかなござを敷いた
この時空はすでに暗くなり
家童(いえわらわ)がやって来た

わあ なんてきらびやかな竹ござなんだ
あれは大夫(たいふ)(貴族)しか享受できないのでは?

息子たちよ
お前たちはいつ竹ござを換えたのだ
私がお前たちによく忠告しているように
見栄を張って奢ってはいけない
早くござを換えてくれ

お父さんの体がもう少し良くなったら
僕たちは必ずお父さんの意思に従ってござを換えます

そうだよ 父さん 重病なんだから
行儀や考え方を気にしないでください

君子は徳を以て人を愛し
小人はその場しのぎで人の歓心を買う
私が真っ当な道で死ねること以外に
他に何を求めようか
早く 早くござを換えてくれ

ついに
息子たちは父の意思に従ってござを換えることにした
しかし 曾子が起き上がり寝かせようとしたところ
息が絶えた

このようにして曾子は生涯を孝行に尽くし
貧しさに甘んじて人の道を楽しんだ
何事にも反省し礼儀を遵守し
勤勉で勉強好きだった
積極的に儒家の思想を広め
孔子学説の主要な継承者となった
儒家文化の中で
先人の後を受けて後世に新たな展開を示す
という考えは重要な位置づけとして備わっている
曾子は後世に尊称して宗聖と呼ばれた

 
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