【動画ニュース】30年間眠っていた天安門事件写真2000枚 新唐人と大紀元が独占初公開

民主化を求めて天安門広場に終結した学生らを武力鎮圧した天安門事件から、今年で30周年を迎えます。1989年当時、19歳の北京市民劉建さんは、北京の学生らの様子を2000枚以上の写真に納めました。しかしその後、当局の宣伝を信じ、これらの写真を公開することなく、30年も保管していました。近日、劉建さんはこれらの貴重な写真を、大紀元と新唐人テレビを通して公開することを決心しました。

1989年5月30日、北京の複数の大学の学生らが作った「民主の女神像」が、天安門広場に建てられ、1989年学生運動のシンボルの一つとなりました。当時19歳だった劉建さんは、女神像の足場に登り、広場全体を写真に納める機会に恵まれました。

民主化運動の初日から、劉さんはカメラでこの歴史を記録していました。当初、北京の学生や市民は胡耀邦(こ・ようほう)元総書記の追悼のために集まりましたが、その後反腐敗と自由を求めるデモに発展しました。劉さんによると、当時学生運動は社会の各方面から支持され、解放軍の幹部らも横断幕を送って学生を励まし、警察までもが学生運動への支持に転じたといいます。

劉建さん
「私は共産党統治のない時期を体験した。学生が作った組織の運営だったが、社会は安全だった。人々は互いに思いやり、民主主義と自由を勝ち取ろうとしていた。全ての人が学生を手助けしようとしていた」

しかし、6月3日の深夜から4日の早朝にかけて、当局は軍隊を出動し、平和的な学生と市民を鎮圧し、虐殺を行いました。4日朝、劉さんはある小さな病院で、血なまぐさい光景を写真に納めました。

劉建さん
「中で40〜50人の遺体を見た。城郷貿易センターの裏に水利病院があるが、その裏にある小さな部屋に遺体が置かれていた。全て銃弾に撃たれた遺体で、悲惨だった。一部は恐ろしすぎて撮っていない。頭部が吹っ飛んでいた」

2017年12月、イギリス国立公文書館は機密文書を公開し、中国国務院の消息筋からの情報として、天安門事件で少なくとも1万人が死亡したと発表しました。

事件後、中国当局は全社会に向けて天安門事件期間中に撮影された写真のフィルムを上納するよう求め、事件の真相を覆い隠そうとしました。劉さんは60本以上に上るフィルムを家の中に隠し、つい最近まで保管していました。この30年、他の中国人同様、劉さんも生きることが精一杯で、あの歴史を忘れようとしました。

劉建さん
「中国政府は人々がこの歴史を忘れ去ってほしいと願っている。政府は毎日あれは動乱だったと宣伝している。そして一人一人が自らこの歴史を忘れようとしている」
ある日劉さんは、間も無く大学生になる娘が天安門事件に関して何も知らないことに気づきました。当局が当時多くの人を虐殺したことを信じようとしない娘を目の当たりにし、唖然としました。それでも劉さんは、自分が直接迫害を受けているわけではないから、真相を公にする必要はないと考えていたといいます。

2016年、劉さんは海外に移住しました。中国で接することのできなかった多くの真相を見ることができ、ようやく自分が深く洗脳されていたことを意識し始めました。

劉建さん
「当時は動乱だと思っていたが、今考えてみると、当時学生らはとても平和的だった。共産党を反対してもいないのに、共産党は軍隊で鎮圧した」

劉さんは、多くの普通の中国人と同じで、自分も中共にずっと騙されていたが、真相を目の当たりにし、ようやく目が覚めたと話します。天安門事件の経験者として、その真相を公にする責任があり、中共が歴史をもみ消すことは許さないと述べます。

劉建さん
「私がまさに代表的な一人で、自らこれらを忘れようとしていた。自由な情報に接した時、正義感のある人なら、自分が経験したことを世界に言うべきであると考え、これらの写真の公開に踏み切った」
天安門事件30周年を迎え、劉さんは中国に残していたフィルムを海外に持ち出しました。そして、独立メディアの大紀元と新唐人テレビを通して、歴史の真相を公開することを決心しました。自らの心境の変化を明し、もっと多くの中国人の覚醒を促したいと述べています。