【アルコール中毒】同僚がくれた一枚のチラシが 人生の転機をもたらす

ジョン・ド・ボーは、男の子ひとりと双子の女の子の父親です。オーストラリアのパースに住んでいます。長年に渡り、アルコール中毒によって、自身の健康と人間関係が破壊されてきました。しかし、ある日、同僚との会話が、あらゆる面で彼の人生を変えることになったのです。

ジョン・ド・ボー、息子と双子の娘と一緒に | Courtesy John De Beaux

ある日曜日の夜のことでした。私は、娘たちを妻の家まで送りました。そして、自宅に帰る途中、6個パックのビールとたばこを買いました。それは、標準的な日曜日でした。

私は自分のことが好きではありませんでした。周囲のネガティブで自己破壊的な人たちの影響を強く受けて育ってしまったからです。そのたぐいの人間とは距離を置くようになっていましたが、私の性格はすでにゆがんでいたのです。私の話す言葉はとてもきたなく、私が話すと、人々は不快の表情を示しました。大切なことをすぐに実行する必要があるのに、グズグズしたり、まわりの人の足を引っ張りました。映画を見たり、ビデオゲームをしたり、ハードコアのメタル音楽にお金を使うことで、私は、怒りと失望をまぎらわせていたのです。

ジョン・ド・ボー | Courtesy John De Beaux

道筋を探る

アルコール中毒の症状にも関わらず、私は何年もの間ずっと、武道と太極拳を続けて来ました。トレーニング中、自己達成と上達を実感したとき、中毒症状は緩和され、週末のリラックスした状態に戻りました。 しかし、アルコールは依然として、意志の力を消耗させ、心は絶えず乱されていました。私は健康に生きたいという思いも強かったのですが、アルコールという悪魔もまた、私の心を強く揺さぶったのでした。

トレーニングとアルコールの組み合わせは、私の体に大混乱を引き起こしました。トレーニングで自分の肉体に追い込みをかけたため、首や脊柱に深刻なダメージを負ってしまいました。医者は私に、これ以上背中に負担をかけると、二度と治らなくなると忠告しました。私はカイロプラクターのところに週に3回通うようになりました。

私は、自分自身を根本的に治療するためには、「何か」を見つけなければならないことは分かっていました。「本物の先生」を必要としていたのです。武道のインストラクターは、私からレッスン料をとりたいだけだと感じていました。私の心の安寧には、興味がなかったのだと思います。私は「心」の在り方から教えてくれる「導師」を求めていたのです。

ジョン・ド・ボー | Courtesy John De Beaux

自分の道を見つける

結局、私を心底感動させ、別の人間に生まれ変わらせる道を見つけたのは、仕事中の会話がきっかけでした。 2009年のことです。同僚が私に1枚のチラシを手渡してくれました。近くの公園で、穏やかで平和的なエクササイズをしている人たちがいるのを見かけて、私のことを思い出したというのです。

私はチラシを読みました。それは『法輪功』(ファールンゴン、FalunGong)と呼ばれる気功でした。私は聞いたことはありませんでしたが、「真・善・忍」の原則に深く共感しました。私は、これこそが自分が人生において取り戻したかった善良さだと感じました。すぐに連絡して行ってみることにしました。電話に出た女性は、次回の気功教室は、土曜日の午前6時30分からだと教えてくれました。

私が決心すると、その決心が試されることは容易に予想できました。教室に参加するための試練は、すぐに訪れました。まず、土曜日の朝ちゃんと起きるために、金曜日の仕事後に、酒屋にビールを買いに寄るべきか、決断を迫られました。私がビールを飲んでしまったら、早朝の気功教室は寝坊してしまう公算が大です。私は酒屋の前を車で通りすぎました。そのとき私は、プライドと興奮を感じたのを憶えています。

©Wikimedia Commons

ところが、数時間後、友人が私に電話をしてきて、みんなで一緒にカジノに行かないか?と言うのです。実は私は、この「グループ」から誘いを受けるのをずっと待っていました。ようやくそのチャンスが訪れたのでした。心は誘惑に揺れ動きました。しかし、自分の決意を思い出し、彼の誘いを断りました。私は気功教室に行きたかったのです。

しかし、試練はそれで終わったわけではありませんでした。翌朝の運転中は大変な困難を伴いました。アルコール中毒が今さらながら、私の心に悪影響を及ぼしたのです。私は、パラノイア、うつ、パニックに陥りました。頭の中で、自分の妄想による声がガンガン鳴り響きました。「みんながお前を見て笑っているぞ。仕事帰りの同僚がお前を見たらどうするのさ?」私は、自分の妄想と必死に戦い続けました。頭の中で、たくさんの人が叫んでいるように感じました。彼らは決して静まってくれません。私は彼らを黙らせようと必死で、壁に頭をガンガン打ちつけたい衝動に駆られました。

私はやっとのことで気功教室に到着し、教えてくれる台湾人男性とギリシャ人女性に挨拶をしました。

気功は座って行いました。2人は両脚を組んで座禅していました。彼らはとても穏やかで平和的な表情でしたが、私は足に、とても大きな痛みを感じました。私は何とか痛みを消そうと、体をもぞもぞ動かし、痛みと格闘していました。

突然、不思議なことが起きました。私の足の痛み、心の中​​の叫び、そして周囲から聞こえるあらゆる騒音が止まったのです!  すべてが「おさまった」のです。あたたかな気持ちが私の体に到来し、まるで私の体が、やわらかい光に包まれているかのように感じました。それは、わが家にいるような安堵感でした。私は初めて、喪失感を克服したのです。

しかし、せっかくこの幸せな感覚が来てくれたのに、すぐに、痛み、叫び声、そして騒音が戻って来ました。いったい何が起こったというのでしょうか? 練習が終わってから、私は2人の法輪功学習者に、これこそ私が探していたものだと伝えました。私の人生において、探し続け、必要としていたものが、法輪功だったのです。

ニューヨークの祝賀パレードでパフォーマンスをするジョン・ド・ボー| Courtesy John De Beaux

心身の「核」からの変革

私は、それから数週間のあいだ、法輪功の練習をするのに大変な苦労がありました。しかし、私の決心は変わりませんでした。私は『轉法輪』と呼ばれる法輪功の原理について書かれた本を読みました。本を読んで、それを実践することにより、理解が深まりました。私は、自分のような喪失感と混乱に悩む人間が、このすばらしい教えに出会う機会が得られたことに、とても感動しました。座禅を終えたあとに、泣くこともしばしばありました。それは、不快感からではなく、感謝の気持ちからです。

時間が経つにつれて、私の心が晴れていくのを感じました。実際、私は静寂を楽しむようになりました。過去には決してなかったことです。私の物事への集中力は、どんどん強くなっていきました。私の人生観は完全に変わったのです。私はずっと失っていた、人間らしく行動する方法を、再び学び直しました。私は自分自身と他人に敬意を払うことを学んだのです。

健康も次第に改善していきました。おかげで私は、カイロプラクターに行くのを止めることができました。当初、座って座禅をするのは、足の不快感だけでなく、背中の痛みから、困難がありました。しかし、他の健康な部分と同様に、私の背中も次第に強くなっていったのです。深刻なダメージを負っていた両肩の腱も、今はゆったりとした快適さを感じられるようになりました。姿勢もずいぶんと良くなりました。

しかし、最も大きな変化は、私の性格です。私は、かつての利己主義、中毒症状、その他多くの悪い習慣を、すべて体の中から追い出しました。実際、アルコールを飲むのもやめることができました。禁酒など、以前なら、とてもできることは思えなかったことです。そして、ここ8年間は、まったくアルコールを口にしていません。

私は自分の苦難を通じて、思いやりを学びました。そして、憎しみは赦し(ゆるし)に取って代わったのです。

家族関係も改善されました。娘たちも私の変化を知って、親密な関係になりました。ながいながい探求の旅のすえ、私の心と体と精神は、ついに平安を得たのです。

子どもたちと一緒に | Courtesy John De Beaux
 
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